ごあいさつ・講演録

新年式典挨拶

2005/01

理事長所信

余は横浜に住み横浜に生存の恩を担えり。されば横浜に必要なる事件に精力を集注し、横浜に対する生活の恩、共同生活の恩に万一を報ぜんと決せり。本名原富太郎こと原三渓はそのように記し、関東大震災からの横浜の復興に向けた決意を書いています。三渓園に様々な名建築を移築し、多くの美術品を収集し、近代絵画の一大サロンを主宰していた彼は、このときの震災を機会にすべての美術品の蒐集をぷっつりとやめてしまいます。そして震災後の横浜の復興に全力を傾注します。
横浜に東京藝術大学の大学院が出来、トリエンナーレの開催や、ナショナルアートパーク構想など本格的に新しい文化が横浜から発信される機運がいよいよ始まる2005年、私は文化芸術創造都市という切り口で横浜のまちづくりを考えたとき、この横浜のまちを愛し、横浜のひとを愛した横浜の最初のハマっ子とも言うべき原三渓という大きな人物に行き当たりました。

あらためまして、みなさま新年明けましておめでとうございます。第54代社団法人横浜青年会議所理事長をつとめさせていただきます、黒川勝でございます。どうぞよろしくお願いいたします。本日は、神奈川県より尾高てるしげ副知事、横浜市より中田宏横浜市長、相川みつまさ横浜市会議長をはじめとする行政・政治関係の皆様、高梨まさよし横浜商工会議所会頭をはじめとする横浜経済界の皆様、様々な市民活動団体などのご来賓の皆様、社団法人日本青年会議所関東地区担当常任理事タイラまさあき君をはじめとする、多くの来訪JCの皆様、村上譲二会長をはじめとする横浜JCシニア会の諸先輩、ようこそ社団法人横浜青年会議所新年式典にお越しくださいました。メンバーを代表してこころよりお礼申し上げます。

さて、冒頭で述べさせていただきました原三渓について、もう少しお話をさせていただきたいと思います。岐阜の田舎から出てきた青木富太郎は、早稲田大学の前身である東京専門学校に通う傍ら跡見女学校で教師として働き、そこで横浜の原善三郎の孫ヤスコに出会い結婚します。当時すでに絹の貿易で財を成していた原家に入り、将来を嘱望されながら仕事が終わると毎日新しく出来たばかりの鉄道に乗って銀座の美術商の店に入り浸っていたといいます。
その後原家の当主となると自宅を本牧の三渓園の場所に移し、社業をさらに近代的に発展させ、当時の基幹産業であった生糸の貿易に関して製造から輸出までを一手に引き受けるまでになります。また横浜財界のトップリーダーとして、国家に対して政策提言をしたり、新しい事業を立ち上げたりしています。
一方で文化芸術に関しても、全国各地に放置され朽ち果てつつあった重要な歴史的建造物を買い取り三渓園という大きなキャンパスに移築して蘇らせました。また、新しい日本の絵画の流れをつくった横山大観や下村観山といったアーチストたちを自宅に招き、創作の場を与え、自身の蒐集したコレクションについて実物を前に語り合い、芸術家たちに創作のための刺激を与え続けました。そして驚くべきことに三渓園は個人の自宅の庭園であるにもかかわらず日露戦争が終結すると市民に無料で開放されたのです。

わたしが原三渓を最初のハマっ子だという理由は、ここにあるのです。彼は文明開化の時代に立身出世を夢見て「ひとの集うまち」横浜に出てきます。養子でありながらすぐに横浜の町に溶け込み、生糸貿易に着目し、多くの同業者とともに一致団結して「経済の豊かなまち」横浜を創り出します。文化芸術を愛し、横浜市民に三渓園を開放して「心の豊かなまち」横浜を目指します。たったひとりで横浜に出てきて、私利私欲のためにお金儲けをするのでなく、得た利益を自分の考えで社会に還元し、すべての市民から愛される、私が考える原三渓がハマっ子である理由はここにあるのです。つまり私たち横浜青年会議所が2001年の創立50周年のときに掲げた運動指針である、ひとの集うまち横浜、経済の豊かなまち横浜、心の豊かなまち横浜を身を持って実践した人物が原三渓なのです。

さて、現在の横浜・日本を考えて見ますと、町にはモノがあふれ、世界中のものを手に入れることが出来ます。インターネットは善悪に関係なくあらゆる情報を洪水のように吐き出し続けます。悪しき平等主義がはびこり、良い行いが必ずしも正しく評価されるとは限りません。このように世界が複雑になればなるほど、世の中が便利になればなるほど私達は様々な場面で難しい選択を強いられ、迷ったり悩んだりすることばかりです。しかし、自分のこと、目先のことしか考えず、誰もが同じように高級ブランドに身を包み、物質的な豊かさだけがうらやましがられるという世の中には疑問を持つ人も多いはずです。

後ろに掲げてあります通り、私は「しあわせの選択」という言葉を横浜青年会議所の2005年の運営テーマとしました。難しい選択を日々迫られる時代だからこそ、決断をしなければならない時に判断の規準として「しあわせ」であるか、「しあわせ」になれるか、というものさしで測ってみること、「正しい選択」という言葉さえも、信じて良いのかわからない時代において、自分にとって、家族にとって、会社にとって、JCにとって、横浜のまちにとって・・・どの選択が「しあわせ」につながるのか、そんなことをメンバーと一緒に考えていきたいと思います。

2001年に私達は創立50周年を迎えました。それから5年、2005年は当時の運動指針をさらに進化させ、創立60周年、開港150周年に向けた新しい展開を始める年と考えています。私たちの組織は40歳で卒業を迎えます。いよいよ今年から昭和30年代生まれがいなくなり、全ての現役メンバーが昭和40年生まれ以降の横浜青年会議所になりました。新人類とも、指示待ち世代とも言われる私たちなのかもしれませんが、そういう世代だからこそ明確な意思を持ったリーダーが必要とされているのだと思いますし、私たちがその役割を担わなければならないのです。横浜青年会議所として具体的な政策を外部に対して発信し、様々な団体との協働も進め、横浜青年会議所が横浜のまちづくりにとってかけがえのない担い手であることを内外に示し、横浜青年会議所の会員のひとりひとりが誇りを持って、自分はまちづくりのリーダーだといえるようになってもらいたいと思います。

そんな新しい世代である私たちは、創立60周年に向けた折り返し地点において、人の集う、経済の豊かな、心の豊かな横浜という三つの指針をあたらしい言葉でさらに深く表現していきたいと思います。

まず、人の集うまち横浜に向けた新しい展開として私たちは「憧れ」のまち横浜の実現を目指します。横浜市がわずか150年で人口350万人の大都市に成長したのは、文明開化の時代、海外移民が船で旅立った時代、戦後の米軍の接収時代、それぞれの時代に横浜が多くの人々にとって「憧れ」のまちだったからです。さまざまな人の交わりは新しい文化を生み出し、新しい文化がまた人を惹きつける、そんな好循環があったのです。 
横浜の魅力を高め、魅力を発信し「憧れ」のまちと今後も言われるためには新しい文化を生み出す戦略が必要です。横浜市には文化芸術都市、映像文化都市、スポーツ文化都市といった構想があります。歴史的建造物・集客施設・観光資源などのハードは揃っています。私たちはこれらの横浜の魅力を高めるための様々な要件を結びつけ、連携させて一つの形にするノウハウや人脈や知識をすでに蓄積しています。
10年間続いた横浜でのサマーコンファレンスは日本全国に横浜という都市の熱烈なファンを作りました。今年で24回目を迎える横浜開港祭は、港への感謝の気持ちを込めて数十万人の来場者を集める横浜で最大級のお祭りに成長しました。サマーコンファレンスは今年は名古屋での開催ですが、この二つの大きな私達の財産をきちんと検証し、新しい連携や応用を考える時期に来ています。芸術や映像やスポーツといった横浜の新しい魅力を引き出したり、開港150周年に向けての新しい展開を進めていくために、私たちがこれまでに蓄えた力を、戦略的に未来に活かすことが「憧れ」のまち横浜につながるのです。

ふたつめの経済の豊かなまち横浜という指針からは、経済が活性して豊かになることがまちに活気をもたらすことに繋がると考え「輝き」のまち横浜の実現を目指します。
横浜経済の3割は港が占めていると言われます。しかしアジアの中で日本の港湾の実力は低下する一方です。今後は東京湾全体をひとつの港と捉えアジアの中での競争力を高めていく政策に移行していきます。その中で横浜が中心となって東京湾全体の港湾政策をまとめていくことは、東京一極集中、中央集権構造からの脱却にも繋がります。つまり東京湾の港湾政策をまとめるのは東京都ではなく、国土交通省でもなく、横浜が担うということを示すことが地域の個性を創ることに寄与するのです。
まずは横浜港が輝きを取り戻すことから横浜経済の再生を図り、京浜臨海部の再生・横浜ゆかりの企業の誘致・会社を起こす起業支援・中小企業を元気にするための支援といった経済政策の提言にも積極的に取り組んでいきたいと思います。横浜の会社には元気がある、横浜の会社は輝いている、そう言われるようなまちづくりをするためには国家から都市に対しての権限の移譲や、財源の移譲を強く求めていくとともに、横浜独自の都市経営戦略や財源確保の政策を立案していく能力を高める必要があります。

みっつめの心の豊かなまち横浜については豊かな心がもたらすものこそがしあわせであると考え、「しあわせ」のまち横浜の実現を目指します。 
ここ数年、様々な事業を通じて私達は多くの市民活動団体を知ることが出来ました。それぞれの団体はそれぞれの分野における活動を通じて「しあわせ」な社会の実現を目指しています。ひとつの分野にこだわらず、継続的にそれぞれの分野や地域に特化した市民活動団体と連携を図ることや、市民活動と行政とのつなぎ手となることが横浜青年会議所には求められています。多様化した時代にあって、行政サービスは限界が来ていますし、市民活動団体が地域性を踏まえ、きめ細かく活躍する分野はますます増えています。私たちは連携、協働、助成、人材交流、情報交換などさまざまな手法を駆使して、市民活動団体が社会活動の大きな担い手となる時代の中で横浜青年会議所の存在や位置づけをしっかりと確立させて「しあわせ」のまち横浜を一緒に創っていかなければならないのです。
今年は産・学・官と市民団体、そして私たち横浜青年会議所が協働で行う事業という位置づけで私たちの継続事業である青少年育成事業「はまっこスクール2005」の実施を考えています。未来を担う子供たちの育成事業だからこそ青年会議所の自己満足で終わることなく、様々な人々と一緒に作り上げていくべきではないでしょうか。

ここまでで私は「憧れのまち」「輝きのまち」「しあわせのまち」の実現という3つの大きな指針を横浜のまちづくりという視点からあげさせていただきました。次に組織を充実させるためのひとづくりの面についても少しお話をさせていただきたいと思います。
2005年の横浜青年会議所という組織にとって必要なこと、メンバーの一人一人と取り組んでいかなければならないこと、これも3つに絞り込みました。「組織進化の実践」、「政策発信能力の強化」、「リーダーとしての資質の向上」この3つの大きな目標を私たちは設定しました。

「組織進化の実践」とは、会議の運営方法や進め方において積極的に多くの意見が反映されるシステムを作り、それを実践していくことにより強い組織を作るということです。開港祭・経済人会議・はまっこスクール・毎月の例会など、私たちは様々な事業を行います。全ての事業は事業計画に基づいて、正副理事長会議・財務審査会議・常任理事会を経て理事会で審議可決承認されるというプロセスを経た上で実施されます。私たちはこのことは大変重要な修練の場であり組織運営の根幹だと考えています。
今年は諸会議の進め方については、副理事長・室長・委員長といった縦のラインの担当者がそれぞれの担当スタッフとの連携をしっかり取らなければ進まないシステムにするとともに、理事や常任理事からの意見を会議の場で積極的に引き出す仕組みを作りました。自分の担当の事業をきちんと面倒を見ていくことはもちろんのこと自分の担当以外のことにも積極的に関心を持って組織全体で全ての事業を動かして行く、そんな有機的な組織作りを目指します。
また、40歳での卒業と言う組織の特性を考えると、安定した会員数を確保するにはなんとしても3桁を越える入会が私たちには必要です。新しい会員拡大の手法にも取り組み、積極的にアプローチをしてまいります。ぜひとも私たちの新しい仲間をご紹介ください。

次に「政策発信能力の強化」です。毎月行っていく例会については、会員以外にも招待者をお招きする例会とし、その月のテーマに沿って委員会が担当するというスタイルを増やします。例会の公開性を高めることによって、開かれた横浜JCを目指すとともに私たちのまちづくりに対する考え方や方向性をきちんと外部に発信してまいります。
横浜開港祭については、開港150周年との連携を図っていくとともにスポンサーシップのあり方や広報活動についても新しい展開に取り組み外部に積極的に発信してまいります。横浜経済人会議における政策発信、文化芸術都市横浜の構築、産学官や市民との協働などについてはこれからのJC運動の進め方の実験的な試みにも挑戦していきます。同世代の若者にとって「憧れ」の存在となること、私たち自身が「輝いている」こと、事業を通じてそんな対外発信が出来れば必ず会員の拡大にもつながるはずです。
また、新しい広報ツールとしてメールマガジンを本格的に発刊します。パソコンのメールとしても携帯電話のメールとしても読める形で横浜JCから定期的に外部発信するメディアがこのメールマガジンです。すでに昨年末にパイロット版を発行しましたが、誰でも簡単に登録できて、横浜JCのことを理解してもらえるツールとして多くの皆さんに登録をお願いしてまいります。

最後に「リーダーとしての資質の向上」です。私達は横浜経済7団体の一角を担う横浜で最大の青年経済人の団体です。しかし私達はその実力を買われて行政や経済界に認知されていると言うよりはむしろ将来に期待をされて認められている集団ではないでしょうか。そうだとすれば、私たちが青年会議所で学ぶべき最大の資質はリーダーシップです。これからのまちづくりのリーダーとして、将来の横浜経済の担い手として、委員長の皆さんには委員会の事業や活動を通じて、自分自身のリーダーとしての能力を向上させることと、次のリーダーを育成していくことをお願いしたいと思います。利害関係のない友人にあれもこれもと頼むことは辛いことです。やる気のないメンバーを放っておくことは簡単です。しかしひとりひとりのメンバーに明確に役割を与え、しっかり働いてもらうことも委員長や室長の責務です。辛くても頑張ったからこそ得られる達成感や充実感、そこに友情が生まれるのが青年会議所の素晴らしさです。明日のために今日頑張ろう、「しあわせの選択」とはこんなことかもしれません。そんなことをしっかりとメンバーに伝え、尊敬されるリーダーとなり、新しいリーダーを生み出してください。

本日この場には全ての役員、そして多くの現役メンバーが参加しています。最年少の理事はライブドアの堀江社長と同じ年齢です。最年長の理事は楽天の三木谷社長と同じ年齢です。もちろん今日のような場ではネクタイにスーツで参加するぐらいの常識を私達は持ち合わせています。しかし組織に対する考え方や、仲間との付き合い方などは少しずつ変化しているようにも感じます。新しいジェネレーションだから、自分のことにしか関心を持たない世代だからと言っていてはこの組織は成り立ちません。私たちはまちづくりのリーダーをインキュベートする団体として、新しい世代こそが新しい時代を切り開いていくのだという信念を持って、青年会議所という団体の体育会的な良さはしっかりと継承しつつ、新しい考え方も取り入れながらひとづくりに、まちづくりに取り組んでまいります。

昨年の暮れに、私は三渓園の隣に今も残る原三渓のお孫さんが経営する「隣花園」という料亭で「三渓そば」をいただきながらきっとこの場所にも足を運んだことがあるはずの原三渓について思いを巡らせていました。「しあわせ」とは、誰かから期待され、それに応えることが出来て、感謝される、そんなときに感じるのが「しあわせ」というものだと言われたことがあります。「しあわせ」とは、幸福の幸でなく、仕え合うと書き、互いに仕え合うという謙虚な気持ちで誰もが相手に敬意を払って接することが出来たときにもたらされるものが「しあわせ」だと言われたこともあります。
 原三渓が本当に「しあわせ」を感じた瞬間と言うのは、もしかしたらすばらしい古美術品を手に入れたときでもなく、事業がどんどん成功していったときでもなく、関東大震災の直後に自分の家の庭である三渓園を市民に開放し、住む家を失った人々に握り飯を振舞い、子供たちが蓮の池で水浴びをしているのを目にしたときだったのかもしれません。そのときの人々のほっとした顔や感謝の言葉の中に彼は本当の「しあわせ」を感じたのではないでしょうか。震災後の三渓は私財を投じ、事業そっちのけで横浜の復興に尽力します。三渓にとっての「しあわせの選択」とは、関東大震災をきっかけとして大きく変化したように感じます。また、きっと当時の横浜市民もそんな原三渓の姿を見て、経済的な成功や目先の利益にとらわれない本当のしあわせというものについて考えたことと思います。

 昨年は、日本でも世界でも多くの災害に見舞われ、今も苦しんでいる人々が多くいます。二次災害の防止や衣食住の確保は最も大切なことですが、私たちが彼らのために責任を持って出来ること、確かな支援の方法を多くの情報の中からしっかりと選択して着実に行っていくことが大切だと私は考えます。

2005年度の私の役割は、横浜青年会議所にとっての「しあわせの選択」の舵取り役として、正しい方向に向かって全メンバーとともに進んでいくことです。ひとりひとりのメンバーの強い意志の力が結集できた時には横浜青年会議所には横浜全体を動かすパワーが生まれます。私達の活動が共感を得ることができれば国や地球でさえも動かす力を青年会議所という組織は秘めているのです。
私が一年間を通じて目指すものは、決して難しいものではありません。まちづくりにおける3つの指針とは「憧れのまち」「輝きのまち」「しあわせのまち」横浜の実現です。ひとづくりもしくは組織作りにおける3つの目標が「組織進化の実践」、「政策発信能力の強化」、「リーダーとしての資質の向上」です。この三つの指針と三つの目標に向かって進んでいき、迷ったときには「しあわせ」に通じる選択をきちんとしていけば必ず大きな成功がもたらせるはずです。

私とともにトップリーダーとして体を張って頑張ってくれる専務理事と副理事長たち、室長としていくつかの委員会をまとめてくれる常任理事の仲間たち、そして理事会を構成する役員や委員長として委員会を引っ張っていく委員長たちに対して私が求めるのは、この三つの指針と三つの目標を一緒に目指そうということです。のちほど紹介させていただきますがこの役員の一人ひとりと「お互いに仕え合う」というしあわせな信頼関係だけが私の自信の源なのです。

最後になりますが、昨年理事長として横浜青年会議所を引っ張ってくれた竹村光史君が、社団法人日本青年会議所の専務理事として、副理事長として頑張ってくれた木下大介君が同日中関係委員会の委員長として出向いたします。また、国際青年会議所JCIには会頭特別補佐として北川たけし君が出向いたします。彼らをはじめとする出向先で頑張ってくれる仲間たちに対しても精一杯の支援をしてまいりたいとおもいます。

2005年という年に伝統ある横浜青年会議所の54代目の理事長を私が担うというのも、組織にとっての大きな決断であり選択であったと思います。本日お集まりの皆さまからのご指導・ご協力を賜りながら一年間の理事長と言う職責を、私は持っている力の全てを懸けて、メンバーとともにお互いに仕え合うという謙虚な気持ちで全うしてまいる所存であります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

 
黒川勝事務所